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「自分の命の使い道」の話
皆さんは、小さい頃、


お父さんやお母さんに

「お金は大事に使いなさい。」

と教わりませんでしたか?


多くの人たちがそう教わったのではないでしょうか?



私もせっかくもらったお小遣いやお年玉を

駄菓子やおもちゃに全額使ってしまった

経験があります。



そして、しばらくしてから、

欲しいものが出てきて、

「あー、あのときに無駄遣いをしなければよかったな~。」

と思ったものでした。



しかし、40歳を過ぎて考えてみると、

「お金の使い方もそうだけれど、

命の使いかたも考えなければいけないな。」

と思うようになりました。



命はお金以上に有限です。

自分の命を何に向けるか?

何をなすために使うのか?


自分の人生は、自分のもの。

「自分が納得できるもののために

使いたい!」

と考えるようになりました。



それは、「自分だけのため」


ではないと思います。



明治維新の世の中を作り上げた

吉田松陰大先生もまた、

そんな考え方を後世に残してくれた方でした。


皆さんも、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」

見てくださいね!
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[ 2015/01/31 08:00 ]

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志をもつと迷いが消えるという話
他人の噂話が気になる人がいます。

「あの人がこう言っているんじゃないだろうか?」

「あの人にこう思われているんじゃないだろうか?」


何を隠そう私が以前はそういう人間でした。

他人からどう思われているかに一喜一憂していたのです。

周りから良く思われたい。

でも、この考え方が身についてしまっていると

どうにも身動きがとれなくなってしまうことが多いのです。

「周りの人に出しゃばりすぎだと思われたくない。」

と思ってしまうと、自分の思っていることが

周囲に伝えられなかったり、

自分が挑戦したいことが目の前に来ているのに

「俺にはまだ早い。」

なんて自分に言い聞かせて、挑戦しないことを正当化する

のに十分な理由を考え出してしまったりするんです。


以前、田端俊久さんが中村文昭さんにこう言ったそうです。

「お前は出来ない理由を言い過ぎる。

人間は世の中の大抵のことは出来るんだ。

でも、大抵の人は出来ないことの方が多いんだ。

それは、その人に能力がないからじゃない。

お金がないからじゃない。

『出来ない理由を言うから出来ないんだ。』」


この話を聞いたとき、私は

「出来ない理由を言うのをやめよう。」

と決意しました。


「自分が日本一の接骨院を作ろう。」

と決意したその日から私の中で

迷いが消えました。


「お前にそれは絶対に無理!」

と言われたこともありました。

「そうですよね~。ほんっとに阿呆ですよね~。

でも、私は本気で日本一の接骨院出来ると思ってるんですよ。」

あんまり、はっきり私がいうもんだから相手は

あきれかえっていました。


私が作りたい接骨院は、

患者さんの数が日本一の接骨院じゃありません。

売り上げが日本一の接骨院でもありません。

私の夢は、

『ご来院頂いた患者さんに日本一

夢と感動を与える接骨院を作りたい!』



いや~、書いちゃいましたね。

日本中どころか世界中に向けて誓っちゃいましたね。


かなりの阿呆ですね。

でも、本気で出来ると思ってるんですよ。

この志を立てますとね、肚が座るんですよ。

迷いがなくなるんですよ。

人の噂が気にならなくなるんですよ。

人にどう思われてもいい。

人から何を言われてもいい。

そんなことに構ってる暇はないんです。

もう行く道決まってますから。

この話を、一人のやる気を無くしてしまった高校生に話したところ、

「先生、先生の所はもうその日本一になっちゃってますよ!」

そんな嬉しいことを言ってくれました。

まだまだ一人では、本当の日本一とは言えません。

100人の方に、

「お前はもう日本一だ。」

と言われたら・・・・・・

次は世界一目指しますよ~。

なにせ阿呆ですからね。ほんまもんの。

坂本龍馬が、明治維新後の身の振り方を仲間に聞かれたときに

「次は世界の海援隊でもやりますかな。」

と言ったように。



今、NHKの大河ドラマで

「花燃ゆ」

ってやってますよね?


あの主人公は、吉田松陰大先生の妹ぎみの

お話なんですが、あれに出てくる

吉田松陰大先生。

かなりいっちゃってますよね~?


私の言う、

「いっちゃってる」

ってうのはいい意味ですよ。


こうと決めたら命がけ。

藩から何を言われようが、

周りに何を言われようが、

もう行く道決まっちゃってますから。


後悔も不安もないんです。

あんな生き方を私もしたいと思うんです。



そして、できたら皆さんにも

あんな風に生きてほしいんです。


それが私のもう一つの夢です。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/30 08:00 ]

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まんまと「今の自分」を変える方法
今日は、「自分を変える方法」について

お話しします。


「変わるはずがない。」

「変わりっこない。」


確かに、「人は変われない」と思っている人が

変わることはありません。

逆に、こういう方は実は変わりたくないのです。

変わるのが怖いのです。

変わるということは、今までの自分を捨てることです。


これまで積み上げてきたものに執着する限り、人は

変われません。

今までのものに執着する=今の姿にしがみつく=今のままが良い

のです。

こういう方が変わることはありえません。



しかし、「変わりたい。」「今の自分じゃ嫌だ。」

「もっと幸せになりたい。」

こういう方はいつでも変わることができます。

何歳になっても変わることができます。


「三つ子の魂百まで」とも確かに言いますが、

世の中には「易不易」と申しまして

変わるものと変わらないものがあるのです。


これは「宿命と運命」ともいいます。


「宿命」とは、変えられないものです。

例えば、自分の父親や母親は変えられません。

生まれた家族を変えることはできません。



一方「運命」とは変えられるものです。

運命は自分の力で切り開くものです。

先述の通り、自分と未来はいくらでも変えられるのですから。


今が貧しくても関係ないのです。

「今が貧しいから将来も貧しい」とはならないのです。


自分がどう変わるかに全て掛かっています。

自分は変わらないけれども、運命だけは変えて欲しい。

たまに、こういう人がいますがコレは無理です。


先ほども述べましたが、「運命は自分の力で切り開くもの」ですから

自分はこのまま努力をせずに、運命だけはあなたに変えてもらいたい。

こんな虫のいい話はありません。




「じゃあ、わかった。努力はするから、どうすれば変われるんだ?」

という方だけ、これ以後を読んでください。


変わる気が無い人はこれ以後を読むと体の毒ですから

ここで読むのをやめてください。


では、変わりたい人にだけお伝えする

『自分を変える方法』はコチラです⇓


                ⇓


                ⇓

                ⇓

                ⇓

                ⇓

                ⇓

「誰かにものを頼まれたら『ハイッ!』と返事をすることです。」


「えっ?それだけですか?」

といわれてしまいそうですが、実はこれだけです。


ただし、何を言われても「ハイッ!」と受けるのです。

難しいですよ。返事だけでなく引き受けるのです。

「コレは無理!」ということも引き受けるのです。



これを三ヶ月も続ければ間違いなく別人になります。

なぜか?

「コレは無理!」「嫌だ!」ということは

これまでのあなたが避けて通ってきた道です。

あなたが歩いてこなかった道です。

あなたの知らない道です。


それを全て知ることは、

今までのあなたではない選択をするあなたになる

ということです。


これが、「あなたを別人にする方法」=「あなたが代わる方法」です。


お金もかかりません。

時間もかかりません。


ただ一つ言えることは、

実際にやった人は、間違いなく変わります。

やらない人は変わりません。



たまにいますが、

「やってるつもりなんだけど~。」


これは違います。



「やれば変わります。」




やっても変わらなければ、

まだ足りないということです。




「食わず嫌いは怒られるが、

やらず嫌いは怒られない。」


「あなたの嫌いな食べ物の栄養が

そのまま今のあなたに欠けている。」


今日は、そんなところにズッポリと手を突っ込んでみました。

テーマ:人生を豊かに生きる - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/29 08:00 ]

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日本人を誇りに思える動画
日本の教科書問題。

中学生になると天皇陛下を疑問視する子供達。

子供達にとっては、学校で習うことが全て。

子供達には、日本人に生まれたことに

誇りを持ってもらえるような教育をして頂きたい。


それは、ないものをあったことのように伝えるのではなく、

あったことをありのままに伝えるということ。


学校で学ぶ歴史の教科書では扱われることのない

日本人の美学がここにあります。

「日本人に生まれて良かった。」

私にそう思わせてくれた動画です。⇓


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テーマ:戦争についての教育 - ジャンル:学校・教育

[ 2015/01/28 08:00 ]

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「原因がわかりません。」と言われても不安にならない。
これは、大好評頂いている

「私が自分を治療したシリーズ」の第三弾です。


私は、昨年末の12月24日に発熱しました。

37度ぐらいでしたが、寒気が止まらず、

「来たな?」

と思いました。


案の定、翌日には38度を超えてきて

一人で歩くこともままならずに

仕事をお休みすることとなりました。


「ふがいない。」

近くの内科の先生に診察を受け、

インフルエンザでないことを確認し、

解熱鎮痛剤を注射していただきました。


以前も、こんな症状が出たことがあったので

「まぁ、またすぐに治るだろう。」


とたかをくくっていました。


熱は、1日でひき、仕事にも復帰しました。

しかし、なにかどこかスッキリしない感じを受けていました。

どこかで

「まだ完治ではないな。」

という予感がありました。



その予感は的中しました。

年が明けて、1月4日。

朝起きると、両方の手首が痛くて

曲げたり伸ばしたりできなくなっていました。



すぐさま、自分で筋肉をチェックしました。

「筋肉に問題はなし。」

と出ました。

「???」



私も自分の体のことはわからないんんだな~。

とおかしくなりました。


そのまま、放置しました。

すると、その次の日には右肩も痛くなり出しました。

「なんだこりゃ?」


でも、仕事に支障はないようだから

そのまま、仕事に出ました。


仕事が終わり、夜寝ていると、

今度は両肩が痛くなり、さらに

両方の股関節へと痛みが増えているのがわかりました。



両肩は痛みのために、両肩共に腕を

上げられなくなっていました。


ジャンバーも一人で着られない状態でした。

股関節は痛みのために、ソロリソロリとしか

歩けない状態でした。



「これは、マズイ。病気か?」

この症状の前に、発熱していたこともあり、

夜中の1時でしたが、夜間に総合病院を受診しました。



血液検査をして、尿検査もして、

心電図もとりました。


先生の診断結果は、

「検査結果に異常なところは何も見られません。」

「真っ白です。」


このあと、先生からこう言われました。

「肩や股関節の痛みの原因はわかりません。

ここは(「この病院は」と言う意味だと思います。)、

命に関わる病気かどうかの判断を

するところです。

今回の症状は、命に別状はないという

結果です。」



「????」

という状態でした。


「原因を調べたいのでしたら、

主治医の先生に紹介状を書いてもらってください。

その後、色々な診療科での診断を受けて頂いて

最後に診断名がつきます。

長い戦いになりますよ。」


ますます、

「?????」

となりました。




原因はわからないし、痛みはなくならないし

でも、不思議と不安感はありませんでした。


むしろ、サッパリした感じです。

「そうか、そっちの業界じゃないのね?」

「八百屋にフライパンは売ってないってことね?」

そう思いました。



自宅に着いたのが朝の4時半でした。

間もなく、仕事の時間です。


仕事場に向かいました。

父親が一人で仕事の準備をしていました。



1日前から熱を出して、仕事を休んでいた父親は

まだまだ本調子ではありませんでした。


「いいよ。今日は、休んでくれよ。

俺が一人でやるから。」

そう言いました。



いつも元気な父親が元気をなくしていたことで、

朝の6時になって学校に行く準備をし始めた

中2になる私の娘も心配していました。

「じっちゃん。大丈夫かな?いつもと違うね。」

「大丈夫だよ。ちょっと疲れたんだろう。」

そう、娘に言って聞かせた朝のやりとりを

父親に言いました。

「そんなこと言って、孫が心配していたよ。」



すると、父親は、

「そうか。」

とだけ言いましたが、少し嬉しかったんだと思います。


目元と口元が少しだけ緩んでいたので。



そんな父親とのひとことだけのやりとりでしたが、

なぜか、

ふわっと、心が温かくなるのを感じました。

その瞬間、

「これか?」

と思いました。


自分で自分をチェックしました。

『「父親に対する思いやり」か?』

『YES』

の反応が出ました。


『それで全てか?』

『・・・・』

反応なし。


ということは、


『まだ、他にも私が思いやりが足りていない人がいる?』

『YES』

『それは、かみさんか?』

『YES』

『母親か?』

『・・・・・・』

『子供達か?』

『・・・・・・・』

今回の症状でわかったことは、

『私は、かみさんと父親に対して思いやりが

足りていない。』

ということでした。


もちろん、私はこれまでも皆さんに

お伝えしてきました。

「気づいた瞬間に全部症状は消えます。」

その通りに、肩が痛くて、両方とも

腕を上げることができなかったのに、

そう思いついた瞬間に、両方の腕は上がるようになっていました。



時計を見ると、朝の7時50分でした。

つい、4時間前に先生から

「長い戦いになりますよ。」

と言われましたが、

もう、痛みなく両腕をあげる事ができるようになりました。



今でも、朝の起きがけの時だけ

わずかに痛みが残っていますが

『まだ何かに気づききれていないんだな。』

とそう考えています。




この考え方が身についたとき、

「原因不明です。」

と言われても動揺もしません。

焦りも不安もありませんでした。


「あー、八百屋にはフライパンは売ってない。

ってことだな?」


「やっぱり、フライパンは金物屋だ。」

と思うだけでした。



今回の件で感じたのは、

「私は治療者。というのは間違いだな。

私も、皆さんと同じ患者さんの一人でしかないな。」

というものでした。




また、私が体験したことがあれば、

皆さんに情報をシェアしていきたいと思います。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/27 08:00 ]

| 私が自分を治療した話 | コメント(0) | トラックバック(0) |
試練が与えてくれるもの
試練や逆境。

世にいう成功者が「試練」について

教えてくれていたのでシェアさせて頂きます。


『試練を

乗り越えた人間というのは、

何か迫力があります。

それがその人の生きる強さへと

繫がっているのでしょう。』


ジュンク堂書店会長  工藤恭孝氏


苦難がないのが本当に幸せなのか?

挫折が本当にマイナスポイントなのか?

もう一度、自分の価値観を

見直さなければいけないかもしれません。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/26 08:00 ]

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ボランティアの落とし穴
ボランティアであったり、人助けであったり、

人の役に立ちたいという想いは、

大変素晴らしく、尊いものだと思います。



治療の仕事もそうですし、介護の仕事なども

ボランティア的な意味合いが強いと思います。



自分がその仕事を一生の仕事にしようと

心に決めた日の情熱や決意を忘れるから

いつの間にか『仕事』が『作業』に

変わっていくのです。



私も含めてそういった仕事に関わる人達は

気をつけなければいけないことがあります。



治療を受けに来る人や、介護を必要とする人達は

少し元気や活力に欠けているところがあるものです。

少し、心にネガティブな一面があるものです。





元気で快活な人は、なかなか病気や症状に

振り回されないものです。



そういった少し元気のない人達と

毎日多くの時間を共有しているうちに

そういう患者さんの心に寄り添ううちに

知らず知らずそういった人達の心と同調し、

治療する側や介護する側が元気を無くしてしまうことがあります。


これこそがボランティアの落とし穴なのです。



人の役に立ちたいと尊い志をもって

仕事を始めた素晴らしい方々が知らず知らずに

落ちてしまう落とし穴なのです。


長い間、この業界で働いている人達は、

特に意識しなくてもそのことに自然と気づき

我が身を守るために少しだけビジネスライクに

なっていくようです。


『仕事』を『作業』にすることで、

感情を持たないようになっていくような気がします。



どうか、忘れないで下さい。



皆さんが働けば働くほど、

汗を流せば流すほど、

涙を流せば流すほど、

あなたの目の前の人達が幸せになっていくという事実を。



どうか思い出して下さい。

皆さんがやっている仕事が

人を幸せにするための尊い仕事であることを。



このことを忘れないで下さい。

皆さんの仕事はこの世からなくなってはいけない

大切な仕事なのですから。




治療や介護の仕事を辞める人が増えるということは

この世が暗闇に向かってゆくということですから。


どうか、この世に希望の光をともして下さい。

我が身を捨てて、この世に役立つ姿を

子供達に見せ続けて下さい。



子供達が将来、立派な大人になりたいと

思えるような世の中になるように・・・・

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/25 08:00 ]

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私を奮い立たせる言葉

「悲観主義は気分であり、

楽観主義は意志である。」


私も常に考えています。

アスリートの子供達は、毎日苦しい練習をどうやったら続けられるのか?

勉強に励む子供達は、どうやったら何時間も勉強できるようになれるのか?

毎日仕事に頑張るサラリーマンやOLの皆さんは

どうやったら厳しく大変な仕事を続けられるのか?

全てに共通しているのは

「キツいことをどうやって続けるか?」
だと思うんです。

キツイ練習をして、「キツいな~」はそのままの感情ですね。

感情のままは、何の訓練も練習もいりません。

何も練習していない状態なんです。

そこを、キツイ練習をしたのにあえて

「よーし、今日も充実したぞ~。」

「キツいけれど、これぐらいやっておかにゃ~日本一にはなれないぞ~。」

「いやいや、こんなぐらいでキツイといっているようでは

日本一なんて夢のまた夢でしょ!」

というメンタルは練習しなければ習得できない

思います。

そんな時に冒頭の言葉が心を支えてくれると思います。

「悲観主義は気分であり、

楽観主義は意志である。」


生まれつきではないんです。

そう、意志なんです。

生まれつきではないから、意志だから

そう、誰にでも練習すればできるんです。

感情に流されず、意志を持って生きる!

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/24 08:00 ]

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「富山ブラック食べました」って話
皆さんは、

「富山ブラック」

って知ってますか?


マンガ「美味しんぼ」の中にも

「○○亭ブラック」

っていう外国人の噺家(はなしか)さんがいたような・・・・

最初にかみさんから、

「富山ブラックって知ってる?」

って言われたときに

「ん?美味しんぼの?」

とひらめいたけれども、口に出すのは止めました。

かみさん。あんまり、美味しんぼに興味ないし。

「富山ブラック」

その正体は・・・・・。

まぁ、ラーメンなんですけど。

これです⇓
富山ブラック


これ、実は私が作りました。

あやうく、素ラーメンになるところを

必死の抵抗でもやしを入れてみました。

もちろん、洗って入れただけ。

油通しなんてしてないです。


味の方はと言いますと、

一口食べてこの「黒」の正体がすぐわかる。

なんだこれ?

コショウじゃん。

もろにコショウの味しかしません。

一瞬、

「最悪!」

というコメントが頭をよぎりましたが、

すぐに消えました。


なぜなら、その突き上げるようなコショウの味が

なぜか、二口目、三口目とさらなる深みへと誘われるのです。


「むむむ。」

と静かに唸ってみる(うなってみる)。

やはり、勘違いではない。


袋にゆで時間が書かれていて、

その時間通りに茹でたはずなのに、

なぜか自然と

「面堅め」

が成立している。


このコショウばっかりの辛いラーメンが

なぜか癖(くせ)になる。


また、なぜだか無性に食べたくなる。

そう言えば、なんとかって料理人のマンガに

「コショウは、麻薬。」

というフレーズがあったような気がする・・・・



確かに、そんな作用もあるかもしれない。

でも、この

「富山ブラック」

かみさんいわく、

富山県に行かなければ食べられないという。


今の時代、

「あそこに行かなきゃ食べられない。」

そんなフレーズは通用しないのかもしれない。

だって、楽天で売ってるし。

コレコレ⇓

(即席袋)富山ブラックラーメン 1箱(12食入)

価格:2,074円
(2015/1/13 16:33時点)
感想(1件)




コショウ好きにはたまらないかも!

是非食べてみてください!

テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ

[ 2015/01/22 08:00 ]

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幸せに生きる秘訣は『人の身になる』にある!
私たちは子供の頃から、親に教えられたはずです。

『人の身になって考えなさい。』と。


では、『人の身になる。』とはどういうことか?


ちょっと離れたところからお話を始めます。

私たちは鋭敏な触覚を持っています。

一度目にして、触ったことのあるものなら

大体のものは触るだけでわかってしまいます。



停電の時にはコレが役に立ちます。

真っ暗な中、

「ここに確か懐中電灯があるはずだ」とか。

そんな経験は誰にでもあると思います。



しかし、触ってごつごつした感触だとか

フニャフニャした感覚だとかはわかっても、

そのものを触っている手の感触を感じたことが

ある人は少ないはずです。



この言葉の意味は非常にわかりづらいのでもう少し具体的な

例を加えて解説します。

例えば、あなたは今、暗闇でボールペンを探していたとします。

指先でボールペンとおぼしきものに触れました。



そのものを先端の方へと指を動かしていきます。

先が段々尖っていき、本当の先端は少しインクのせいで

濡れていたりして・・・・



こんな感覚は誰でも持ちますが、

ここからです。



指先で物を感じるのではなく、

物が触れている指先の方の感覚を知ろうとすることです。





これが、ほとんどの人が感じたことのない

正確に言えば「感じようとしたことがない感覚」

なのです。



そして、これが、もう一つの感覚「人の身になる感覚」

なのです。



『人の身になる感覚』とは

つまり、コチラから投げかける感覚

触れたり、言葉を発したりではなく、

触っている指先に加わる圧力や感覚を感じようと

する努力であったり、自分の発した言葉を

受け取る相手方の感情に寄り添おうとす努力のことです。




自分の言葉が意外と人を傷つけていたりすることは

よくあることです。

自分の言葉を相手方の気持ちになって感じようと

努力することはなかなかできません。


ましてや、触れる指に残る感触を知ろうとする

努力などおそらくほとんどの人がしたことなどないはずです。


おそらく、この表現も適正には伝わらず

「物を触って知ろうとする感覚」と誤解されることでしょう。




その違いを知るためのいい方法があります。

是非、やってみて下さい。

誰でも一発で感覚の違いに気づきます。



まず、ボールペンを用意して下さい。

そして、目をつぶって右手でボールペンで触ってみて下さい。

自分が触っている物が何かを知ろうという気持ちで

触ってみて下さい。


次に、左手にボールペンをもち、右手の指先に

ボールペンを当てて動かしてみて下さい。


最初の感覚と2回目の感覚の違いに気づくことでしょう。


触って知ろうとするこちら側だけの感覚でなく、

触っている指先の感覚を知ろうとすること。

これが、「相手の身になる」

「人の身になる」ということです。




人は誰しも、

「理解してもらいたい」

「わかってほしい」

という欲求の中に生きています。


あなたの周りにいる人達のそんな欲求を満たしてあげながら

生きていくことができたなら、

どれほどあなたの生き方が豊かで素晴らしくなることでしょう。




誰でも簡単に練習ができます。

右手で左手に触れて左右にこすってみます。

右手に触れられている左手の感覚を知る努力を

してみましょう。これは誰にでもすぐに簡単にできます。


次に、左手の上を左右に動かしている右手の指先が

左手の上をこすられて感じる感触を感じてみましょう。



この感覚は練習しなければできませんし、

できたとしてもこれまでの人生で感じたことのない

新しい感覚だと思います。



この感覚を通じて、本当の意味での

『人の身になる』

を感じてみてはいかがでしょうか?


あなたのこれからの人生が豊かに輝き出すはずです!

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/21 08:00 ]

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この男性は本当に不幸ですか?
今日は、ある男性のお話をします。

この男性の話を知ったとき、皆さんの幸せと不幸の定義が

大きく変わる可能性があります。

そんなお話を今日はしてみたいと思います。


その男性Aさんは、交通事故に遭って、

その治療のために私の所に紹介されてきました。


Aさんは、道路を歩いていて立ち止まり、

スマホで調べ物をしていたそうです。


すると、交差点を左折しようとした車が左側を

確認しないまま、左折したのでした。


そのため、Aさんは車に後ろからはねられたのでした。

Aさんは不幸でしょうか?


幸い、それほどスピードも出ておらず

すこし、首と背中が痛む程度でした。



しかし、相手は任意保険に入っていなかったのです。


Aさんは不幸でしょうか?


任意保険に事故の相手が入っていないとどうなるか?



任意保険に入っていなくても、強制加入の自賠責保険で

治療はできますが、その手続きを任意保険に加入していれば

任意保険の会社が手続きを代行してくれるところを

相手方がやらなければいけなくなるのです。



さらに、自賠責保険でも事故対応は任意保険会社がやってくれること

と考えている節があり、素人がやろうとすると非常に面倒になります。


Aさんは不幸でしょうか?


困ったことになったな~。と見ていると。

なんとAさんは、自分の任意保険を使おうと相手方と

話し合うのです。



Aさんは本当に不幸なのでしょうか?



さらに、Aさんは相手方が任意保険にはいっていないので

直接相手方とお話をするのです。任意保険に入っていれば

保険屋さん同士の話し合いになるところなんですが・・・・



その話し合いの中で相手方がお店を経営していることを

聴きました。


さらに、そのお店の経営があまりうまく行っていないことを

知ると、自分に何かできないかと考え始めるのです。


このAさん、本当に不幸なのでしょうか?



Aさんは、私に言います。

「事故の相手が、本当にいい人で・・・・」


Aさんは本当に不幸なのでしょうか?




世の中に、不幸な出来事などなく、

「自分は不幸である」「自分は幸せである」という考え方だけが存在する。


その選択権はそれぞれの人に委ねられている。

そんな事を教えてくれた素敵なAさんでした。



あなたは本当に不幸ですか?

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/20 08:00 ]

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私がこのブログを書く本当の理由
私は、これまでに私とご縁があった人に

「このブログ読んでみてください。」

とこのブログを進めてきました。


なかには、

「なんか変な宗教みたい・・・」

と敬遠される場面もありました。

(今まで一人だけですけど。)

今日のタイトルは、

「何を今さら改まって・・・・」

と思う方もいらっしゃると思います。


わざわざこんなタイトルをつけなくても

このブログの中で何度も

「このブログの何のために」を

書いてきたつもりですし、

私と会って話をした人たちは、

私の口から幾度となく聞かされたことかもしれません。


なぜ、今日改まってこんなタイトルを用意したのか?

それは、一冊の本との出会いによります。

その一文を読んだとき、

「これは、私が一番このブログで伝えたいことだ!」

と激しく共感したからです。


今日は、その一文を抜粋して転載いたします。

私と話をしたことがある人は、

なんとなく、この文章の意味するところ

この文章の裏側がなんとなくわかるのではないかと

思うのです。

----------------------------------------------

「罪悪を知ればこそ善が分かる」


 みにくい、あるいは美しい罪悪を犯して苦しむ

人々は幸福である。なぜならば、

彼らは善の殿堂の入り口に立っているからである。

 道のまん中に、穴がある。落ちてケガをした。

はい出して、前を見ると、同じような穴がいくつもあると。

 これはあぶないと、今度は二度と落ちないように

気をつける。そうして、安全にすすむことができる。

けれども、その穴のあることを知らぬ人は、

おちこみやすく、危険である。

 これだけでも、穴のあることに気づいた人は、

幸福である。だが、それよりさらにすすんで、

穴の存在を知り、他の人々が落ちこまぬように、

埋めてやるならば、その人は善をほどこすことになる。

自分が落ちたことにより、人を落とさせまいとする。

これは、りっぱな善である。穴の存在を知らぬ人は、

善をなすこともできぬ。

 およそ、悪あっての善である。黒あっての白であり、

寒さあっての暑さである。常春の国に住む人には、

春の意識はないごとく、善のみの世界に住む人には、

善の意識はない。悪を知ればこそ、善のあれこれを

思うことができるのである。

(以上、倫理経営原点より抜粋)
----------------------------------------------------


私と直接会ってお話をしている方々のなかで

何人かにはもうお伝えしてあります。



「あなたが遭った苦難は、

本当に損ですか?」




「あなたが経験した逆境は

よくよく考えてみると

本当は財産ではないですか?」





「逆境を経験した人間にしか

伝えられない言葉がある。」





「苦難を乗り越えた人間の言葉には

魂が乗っている!」





「あなたと同じような苦しみに

悩んで苦しんでいる人たちが

今も世のなかには

ごまんといる。」





「今の逆境を乗り越えたら、

今度はあなたが同じような

逆境に苦しんでいる人たちを

救う側にまわってほしい。」




ここまで読み進めて頂いた皆さんに

お願いがあります。

「罪悪を知ればこそ善が分かる」の部分を

もう一度読み直してみてください。


一度目とは、違うことが感じられるはずです。

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[ 2015/01/19 08:00 ]

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100万円の価値がある『幸せの分け与え方』
『幸せを分け与える』という考え方。

なかなか出来ないものです。

誰もが幸せを独占し、『自分さえ良ければいい』

と思いがちです。


しかし、幸せは分け与えれば分け与えるほどに

かさを増し、元のところに戻ってくるものです。


しかし、この『幸せの分け与え方』にもルールがあることを

知らない人が多いのです。




わかりやすく、幸せの分け与え方を

コップの水に例えてみましょう!


あなたはコップの中に多くの幸せを入れています。


そして、あなたの周りには空のコップを持った

多くの人達がいます。

その人達がいいます。

「このコップに幸せをわけておくれ」



人のいいあなたは、早速その人達に

幸せをわけてあげます。



一人、また一人とあなたの幸せを分け与えていくあなた。


あなたから幸せをわけてもらった人達は

皆、幸せそうです。



ところが、三人、四人と幸せを分け与えていくうちに

あなたは気づくのです。


あなたのコップの幸せが少なくなっていくことに


そうして、あなたは思うのです。


「なんで私ばっかり、こんなにつらくて苦しいの?」


「私はこんなに人のためにやっているのに」




幸せの分け与え方のルールを知らないが為に

起きてしまった悲劇なのです。




では、幸せの分け与え方のルールとはなんでしょう?


これがルールです。

『幸せのコップから分け与える幸せの水は、

あなた自身が「私は幸せで、私は満たされている」

という想いに満ち溢れ、幸せのコップからこぼれ、

溢れた分しか人に分け与えてはいけないのです。』



これを知らずに幸せを分け与えようとすると

あなたは必ず不幸になってしまうのです。



では、あながたそうならないために

どうすればいいか?


『私は幸せである。私は満たされている。

ということを知ることです。

「知足の精神」を持つことです。』




お金持ちの人達、セレブの人達はその心に

溢れています。そういう人達にさらに

幸せが舞い込むようになっています。



ここからがさらに大切です。


「お金持ちだから、そんな気持ちになれるんでしょ?」


という考え方では幸せになれません。



そんなセレブな気持ちをもつことで

幸せになっていくのです。


何事も心が先なのです。


お金持ちだから幸せで心が満たされるのではなく、

心が満たされているからお金持ちで幸せになっていくのです。



心を変えることにお金は必要ありません。


これが100万円の価値がある『幸せの分け与え方』です。


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[ 2015/01/18 08:00 ]

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娘に伝えた私の天皇陛下に対する考え方
今日は、私の天皇陛下に対する考え方を

書いていきます。


「そういうの嫌だ!」

という方は、どうかスルーしてください。

皆さんの考え方を否定するものでは

ありませんので、

「あっ、そうお前はそう考えているのね。」

程度に捉えてください。



どうしても、捨ててはおけないことが

私と娘の間に起きたので、これは

「本当にそのままにはしておけない!」

という想いで書かせて頂きます。



事の発端は、成年皇族になられた

秋篠宮佳子さまの報道でした。

最初は、私と娘は

「芸能人やモデルみたいな綺麗な人だね~。」

とたわいもない話だったのですが、

突然娘が、

「でも、この人達、働いてないんでしょ?

国からお金をもらっているんでしょ?

ズルいよね。」

と言いました。


それを聞いた私は、恐ろしくなりました。


「ちょっと、パパと話をしよう。

あのね、天皇陛下を初め、皇族の方々が

『働かずにお金をもらっているのがズルい。』

という考え方は、『天皇陛下が私達と同じだ』

という考え方から始まっているのだろうけども

それは違うと思うよ。」


「天皇陛下はそもそも、私達とは全然違う。」

「天皇陛下は、唯一人全国民の親として

向き合っておられる。

東日本大震災が起きたとき、被災地にいて

仮設住宅に住んでいた被災者の方々が

エアコンがついていなくて寒い想いをしている

と聞いた陛下は、自ら部屋の暖房を切ったそうだよ。

『被災地で凍える想いをしている方々がいるのに

自分だけ暖かい部屋にいるわけにいかない。』

とおっしゃったそうだよ。パパも被災者の方に

寄付をすることはできても、部屋の暖房を切ることはできない。

それは、『全国民が我が子供』と考えている天皇陛下にしか

できないよ。」



「そもそも、天皇陛下に対する考え方が変わったのは、

戦後日本が戦争に負けて、大日本帝国憲法が改正されて

『国家元首』という立場から、日本国憲法で『国民の象徴』

という立場に変わったことによると思うんだけど、

学校では、天皇陛下の戦争責任に対しる格下げのように

教えてるかもしれないけど、それは違うよ。」


「そもそも、天皇陛下の勅命(ちょくめい)として

時の政権や軍部が自分達の考えを正当化し

国民を動かそうとする手段は

昔からあった話で、これは日本だけじゃなく、

中国の三国志時代でもあった話だよ。

国王のそばで世話をした宦官(かんがん)や

董卓(とうたく)も国王の勅命を操って、

天下国民に命令を発したんだよ。」


「だから、パパの考え方は天皇陛下の勅命を

あやつる人間が悪いんだと思っているよ。


実際に、広島や長崎に原爆を落とされた日本が

降伏した形になっているけど、

さっきも言ったけど「国民は我が子供」と

考えている天皇陛下が国民のそんな悲惨な

状況を黙っていられると思う?

まだまだ、戦おうとする軍部や政権を押さえて

降伏を決めたのは、天皇陛下だと言われているよ。」


「だから、アメリカは天皇陛下を格下げしたのではなく、

天皇陛下の威光を借りて、「天皇陛下の名の下に」

どこまでも働く日本人の国民性を操り、

天下に悪事を働く輩が出ないように

憲法を改正したんだよ。」

「ただ、その憲法の意図を汲み取らず、

文字ばかり読もうとする人が今の教育によって

増えすぎた。そんな間違った教育が

天皇陛下に対する間違った感情に繋がっている。

これはとても悲しいことだ。

中国では偽の勅命によって、国王の権威が利用されることは

当然のこととして知られているのに、

日本ではまだそこまでいっていない。


日本の教育が、教科書がいつの日か

正しい方向に向くことを期待したいね。」


娘は納得しているようでした。


しかし、中学に行き、

歴史を学ぶようになって

『教育の怖さ』を目の当たりにした瞬間でした。


「子供達にどんな教育がされているか。」

それに興味関心を持たないと、

アジアの周りの国々を笑っている場合じゃないと思いますが、

皆さんはどう思いますか?




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[ 2015/01/17 08:00 ]

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本当のリラックスの仕方

「もっとリラックスして!」とか


「仕事が終わったら、もっとリラックスをしたいんだけど・・・・」とか

言ったりします。


でも、なかなか出来ないんじゃないですか?

その「リラックス」って?

皆さんは、どうやってリラックスしていますか?

お風呂に入ったり、

マッサージをしてもらったり、

アロマキャンドルを焚いたり、


一生懸命、力を抜いたり、気を抜こうとしたりしていませんか?

「リラックス」って、「力を抜く」とか「気を抜く」というのとは

実は、ちょっと違うんです。


リラックスの反対の状態は何でしょう?

「緊張」とか「集中」とかだと思うんですが、

私の答えは「緊張」ではなく、「集中」なんです。



「緊張も集中も同じじゃねーか?」といわれそうですが、

その話をするとかなり長くなるので、また別の機会に。


「緊張とは意識が集中した状態」ですから、「気を抜く」

というのが違うのはわかります。


「気」を抜いたら大変です。


そうではなく、「リラックスする」とは、

「意識を拡散させる」ことであり、

もしくは「意識を多方面に分散させる」ことなのです。


仕事に集中していたら、仕事以外の家族やテレビや本や

とにかく仕事以外の別のものに意識を向けるんです。


「自分が持てるアンテナが全て仕事に向いている状態」が

「仕事に集中している状態」ですから、


仕事以外の何かに意識を分散させることによって仕事に対する意識が分散されます。


勉強でもスポーツでも同じ事です。意識を別に向けることによってリラックスします。


以前は、プロ野球の選手達には打てなくなる時期がありました。


「長いスランプに入った」とか

「スランプを脱出した」などと言ったりしました。


最近ではあまり聞きませんね、「スランプ」という言葉。


昔と違って、今の選手達は堂々と気分転換をしても

良い時代になったんです。


昔はダメだったんですよ。気分転換なんて。

「打てないくせに遊んでやがる」とか、

「打てない奴はもっと練習しろ!」なんて言われたりしました。

やればやるほど深みに嵌まっていくことがわからなかったんです。


ですから、皆さん、意識を多方面に分散させましょう!



特に、仕事から解放されてリラックスしたい方は、

ご家族を大切にして下さい。


ご家族のために時間を使って下さい。

どうしても家族に会う時間がとれない方は

離れていても家族の事を想っていて下さい。

仕事のデスクの上など見えるところに家族の写真を

飾って下さい。



仕事の対極にあるのが「家族」ですから。







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[ 2015/01/16 08:00 ]

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「負ける」ってことは、「終わり」ってことじゃないという話
最近、私も含めて、

負けられない人達が多いように思います。

「負けるって何に?」

「色々なことに」です。


その昔、私が中学生の頃、聞いていた

尾崎豊さんの歌にこんなフレーズがありました。


「僕が僕であるために~♫

勝ち~続けなきゃならない♫」


僕はこの曲大好きでした。

今でも結構大好きです。


やっぱり世間は競争ばかりだし、

世の中で生き残って行くには

その競争に勝ち続けなきゃいけないんだって

思っていました。


しかし、私の大好きな三国志の歴史において

最大級の合戦は二つあり、

一つは、曹操孟徳(そうそう もうとく)と

袁紹本初(えんしょう ほんじょ)の二人が

それぞれの軍を率いて戦った

「官渡の戦い(かんとのたたかい)」。


もう一つは、多くの人が三国志と言えば

この戦いという

曹操孟徳(そうそう もうとく)と

孫権仲謀(そんけん ちゅうぼう)+劉備玄徳(りゅうび げんとく)

の連合軍による「赤壁の戦い(せきへきのたたかい)」です。


この歴史的な大戦に二つとも関係しているのが

曹操孟徳であります。



この歴史的な大戦に共通しているのは

どちらの戦も

「小が大に勝つ」

というところです。



まずは、曹操孟徳が官渡の戦いで

自軍に倍する数の袁紹軍を打ち破り、

中原(ちゅうげん=中国の当時の中心部)の

覇権を握り、


天下の趨勢が固まったかと天下人民が

思ったところでの赤壁の戦いで

孫権+劉備軍が曹操軍に土をつける

という歴史の流れになっています。


しかし、ここで曹操と袁紹の違いは

「負けを活かしている」

ということだと思います。


「負けたら終わりではなく、

負けなければわからないことがある。」

ということであり、

さらに曹操は、

「これ以後も繰り返す敗戦の一つ。」

とすら感じている風があります。


子供の頃から他人と比べられ、

友達が比較の対象となり、

生きてきた子供達。


塾に行かされ、スイミングに活かされ

負けることが許されなかった子供達。



そんな子供達の行く末は、

「負けることを認められない大人達」

ではないかと心配しています。




「自分の思ったとおりにならないときには

人を責める。相手を責める。学校を責める。

病院を責める。」


相手を責めることで自分の欲望を

叶えさせようとする。



そんな子供達が増えているような気がします。

それは、そんな大人達が増えてきたからに

他なりません。



私も含めて、気をつけなければなりません。


「負けて初めて気づくことがある。」

「失って初めてその存在の大きさに気づくことがある。」

その喪失感の大きさは、

残念ながら平常時では

感じる事ができないのかもしれません。




憎らしい。

腹が立つ。

頭にくる。


そんな時、その人が

明日突然あなたの目の前から

姿を消したとしたら・・・・・・・




気づいてからではもう遅い。


だから、

「今」、

「今」、

「今」です。

今、その頭にくる人を大切にしましょう!


失って初めてわかることがある。

失わなければ気づけないことがある。


負けて初めて、負ける側の気持ちがわかる。

負けなければ、わからないことがある。

「負ける」ことは、「終わり」ではない。

「負ける」ことは、「失う」ことではない。

「負ける」ことのなかには、

「失うこと」もあるけれども、

「得るもの」も必ずあるということ。



大切なのは、「負けたとき」に、

「負けて得たものに気づいているか?」

ということ。


ほとんどの場合、

「負けて」、「失ったもの」にだけ目が行き、

人生に失望する。


曹操孟徳は、

「負け戦」の中から、「得たもの」を見つけ、

「次に活かした」。



「負け戦」、

「負け試合」。


誰もが目を背けたくなるその先に、

「成功」や「幸せ」はひっそりと

身を隠しているのかもしれませんね?

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[ 2015/01/15 08:00 ]

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トイレの有り難さ
どの家にも必ずあるトイレですが、

誰もがその貴重な存在に気づいていないものです。



私は、師匠に

「トイレ掃除は心磨きだ」

と教わりました。

トイレを磨くと心が磨かれるというものでした。


家の中にあって、私にわがままを無くすことの

大切さを教えてくれるのがトイレとゴミ箱です。

トイレは、私の排泄した汚物を文句も言わずに

飲み込んでくれます。

決して嫌だとは言いません。


ゴミ箱も同様です。

いらなくなったものを捨てても全てを

受け入れてくれます。



誰しもいらなくなったものを渡されると

「いらねーよ」と言いたくなるのものですが

ゴミ箱は全てを受け入れてくれます。


なんと有り難いことでしょうか。

毎日の忙しさの中に、心を失い

感謝の気持ちを忘れて、わがままな気持ちがわき起こってきたときに

トイレが、ゴミ箱が

「お前なんてまだまだだ。」


と気合いを入れてくれるのです。


私にとっての有り難い存在です。

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[ 2015/01/14 08:00 ]

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人間関係にギスギスしない 「交流分析のすすめ」3
今日は、交流分析の解説3日目です。

さっそく解説に入っていきます。


今日開設するのは残り2つのフィールドです。


③I am not OK. You are OK.

あなたはOK。私はダメ。

④I am not OK. You are not OK.

あなたもダメ。私もダメ。


③のフィールドにいる人は、自分以外の人はすごくOKなんですが、

『自分はダメな奴』というスタンスです。

つまり、自己嫌悪です。自己嫌悪の人は苦しいです。

「他の人はあんなに出来ているのに、なぜ自分は出来ないんだろう?」

とついつい考えてしまうのです。

「あなたはすごいですね~。それに引き替え私ったら・・・・」

そう考えてしまう人は、ついつい人を頼りにしてしまいます。

会社や学校などで、

「Aさんは凄いわよね~。それに引き替え私って・・・・・」

こんな会話。結構聴きますよね?

他人を褒めるために使ったりする傾向にありますが、

自分を蔑んでしまうのは、あまり良いことではありません。

これと同様に、日本人の美徳として『謙遜』というのが

ありますが、これは他人からの褒め言葉に有頂天になり

足下をすくわれるなという教訓であり、

「他人の言葉に一喜一憂しない」という

戒めであって、決して「自分はダメな人間だ!」と思うためではありません。


だから、私は「謙遜が堕落の始まりだ!」と考えている理由です。


また、人を頼りにする考え方が度を超すと人を妬むことにつながります。

「人を妬む」というのが結構厄介です。

「妬む」のは「他人との比較」で生じるからです。

そして、『人生の悩みのほとんどは原因が「他人との比較」だよ。」

と教えてくれた方がいました。

「うらやましい=ねたましい」ではなく、「うらやましい=素晴らしい」

という考え方にシフトできればさらに素晴らしい人生へと転換されるでしょう。



さぁ、ここまで十分に長かったのですが、最後のフィールドです。

④のフィールドにいる人は、自分もダメだし、他人もダメだと考えています。


マイナス思考の代表のような人です。

吉田拓郎さんの「人間なんてラララ~ララララ~ラ♫」

を歌いたくなるような人です。

人間なんてどうしようもないと考えています。

また、このフィールドにいる人は自暴自棄担っている状態を

表します。

この立場にいる人は犯罪的な行動に出るかもしれませんし、

事故破滅的な行動に出るかもしれません。


ここまで、悲惨なことが書かれていると「自分がコレだ!」

という人は落ち込んでしまいますが、大丈夫です。


この4つに分かれたフィールドわけは、一生続くわけではありません。

つまり、ずーっと同じフィールドにいるわけではないんです。

②から③になったり、③から④になったり、

逆に④から③になったりもするのです。


いずれにしても大切なのは「相手を認める」ということです。


相手(奥さんだったり、上司だったり、子供だったりもします)を

認めることで自然と「腹が立たなくなる」ものです。

「腹が立ったら、そばにいる人がそこにいてくれて当たり前」という感情を

捨ててみましょう。

「この人がいるから私が仕事や勉強が出来ている。」

と考えてみましょう。

それまでとは違った景色が見えてくると思います。


最後に「怒った方が負けなんです。」



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[ 2015/01/13 08:00 ]

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人間関係にギスギスしない「交流分析」のすすめ その2
昨日、ご紹介した交流分析

昨日は交流分析によって4つのフィールドにわけさせて頂きました。

皆さんは、自分がどのフィールドにいるかわかりましたか?

今日は、その4つのフィールドを詳しく紹介いたします。


その前に、軽く昨日のおさらいです。



交流分析による4つのフィールドは以下の通りでしたね?

①I am OK.You are OK.

私もOK。あなたもOK。

②I am OK. You are not OK.

私はOK。あなたはダメ。

③I am not OK. You are OK.

あなたはOK。私はダメ。

④I am not OK. You are not OK.

あなたもダメ。私もダメ。


①のフィールドにいる人は、自分のことをOKだと思っているし

他人のこともOKだと思っています。

つまり、自己を受け入れています。

自尊感情も高い人です。しかし、自分だけでなく

他人のことも高く評価していて、信頼していて、

基本的に「人間って素晴らしい!」と心底信じている人です。


②のフィールドにいる人は、自分のことはOKだと思っているが

他人はおおかたダメだと思っている人です。

このフィールドにいる人に共通しているのは、

『他人のあら探し』をします。

このフィールドにいる人が他人に満足するということは

ありません。


自分以外の人間は「なっちゃいない人」だと考えています。

職業的には「『先生』と呼ばれる仕事をしている方」

「親」「先輩」など他人を指導する立場にいる人たちに

多く見られるようであります。

だから、自分がその立場にたつようになった時には

このフィールドに陥らないように気をつけたいところです。


今日はここまでにしたいと思います。

残りの

③I am not OK. You are OK.

あなたはOK。私はダメ。

④I am not OK. You are not OK.

あなたもダメ。私もダメ。

は、また明日にさせて頂きます。



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[ 2015/01/12 08:00 ]

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全ての不幸の始まりはワガママに起因する。
全ての不幸の原因は「ワガママ」に起因する。

どうして人は「不幸だ」と感じるのでしょうか?

それは、「自分の思ったとおりにならないから」

に他なりません。


あの人は、あんなにお金持ちなのに・・・・

あの家は、あんなに大きくて立派なのに・・・・

会社が俺をうまく使えないから・・・

同僚が自分の失敗を私のせいにするから・・・

国の政策が、私の事業を規制するような法律を作るから・・・・



みんな人のせいです。

自分の状況は何も変えずに、正確に言えば

「自分を変える努力を自らはせずに」

環境のせいにする。

周囲のせいにする。

つまり、わがままにならなければ面白くない。ツライ。

という思考プロセスです。


この思考法、マインドでは決して幸せになることは出来ません。

万に一つも幸せの確立はないのです。



では、どうすれば、そんな状況から脱却できるか?

「人を変えずに自分が変わることです。」

「人の意見を活かし、自分の意見を捨てることです。」

「自分の意見を捨てる」とは、「自分の意見を持つな」

ということではありません。


論争になったときに、「自分の言い分を捨てなさい」

ということです。



そして、わがままを捨てる一番の方法は、

「朝おき」をする事です。


「朝おき」とは、朝早く起きることです。


毎日、朝早く起きることです。5時には起きましょう。

ただそれだけです。

ただそれだけするだけで、わがままは無くなっていきます。



逆に言うと、「朝おきが出来ない人はわがままです。」


コレにも、万に一つも例外はありません。


「私は、朝おきは出来ないけれどもわがままではありません。」

と言う人がたまにいますが、コレはありえません。


「朝おき」とは、前の日に飲み過ぎても、

仕事や練習で疲れていても朝5時に起きることです。

秋や冬になって朝が寒くても朝5時に起きることです。


「あと5分だけ・・・」

自分の思ったとおりにしたい。

これが人の世の全ての不幸の始まりです。



誰かに怒りを感じたら、

何か出来事を不幸と感じたら、

あなたの心の中にわがままが入り込んでいるのかもしれません。


感謝の気持ちと朝おきでわがままを捨てましょう!

テーマ:人生を豊かに生きる - ジャンル:心と身体

[ 2015/01/10 08:00 ]

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医療人は挫折人であるべきだと言う話
このことを書くにはまだ私は未熟で言葉が足らず

その真意が伝わらないだろうから、

そういう意味ではまだ時期尚早だろうな

と思いつつも、近い将来もっと適切な形で

表現し直すことができるか思い、

今の時点の私の人間力と語彙力と情熱で

行けるところまで行ってみようという気になりまして

このテーマで書くことにしました。




「病気や症状に悩んでいる人というのは

病気や症状と全く関係ないところで悩んでいる人

または困っている人です。」


こんな話を私の口から聞いたことのある人が

今このブログを読んで頂いていると思います。


初めて読む方にとっては、正直

「はぁ?」

って感じでしょうが、この記事を最後まで読んで頂くと

少しは「腑に落ちる」ということもあるかもしれません。


病気や症状は、その人に対するサインであるならば

その人の生活や行動なりに多少望ましい形から

ズレがあって、そのズレに本人に気づいて欲しいから

病気や症状がサインとして出ているということです。


たまに、例外として祖父母や親の横暴が子に病気や症状として

現れるということがあります。

(だから、お父さんもお母さんも子供のために

明るく正しく生きなければいけないのです。)


これは、横暴な当人にも十分な病気や症状が現れているんですが、

それにも関わらず、当人の苦しみにはいくらでも我慢出来る人が

いるのです。


まぁ、それは例外として、

ではなぜ人が望ましい形からズレていくのか?

それは、辛いことや悲しいこと、現実として受け入れがたい

事実に直面したとき、それらを

「自分のこと」

として受け入れられず、

「人のせい」や、「社会のせい」などとして

周囲を傷つけてしまうのです。

(たまに自己嫌悪と言う形で、自分を傷つけますが)



これを『挫折』と呼ぶのだと私は思います。

挫折をすると人はそれまでの自信を失います。

自信を無くすから消極的になります。

消極的になるから新しいことにチャレンジできなくなります。

新しいことにチャレンジできないから

今の自分のままでいます。

今の自分のままでいるから成長ができません。



こんな経験が私には山ほどあります。

このブログにも、私の失敗談や挫折経験を

何度も書いてきました。

私も挫折を感じた当時は、「私の人生に傷がついた。」

「もう取り返しがつかない。」

とさえ感じていました。



しかし、今では私の今の仕事に私の挫折経験が多いに役に立っています。

いや、むしろ挫折経験がなければ今の仕事が出来ませんでした。


仕事とは、元来

「困っている人を助けるもの。」


だったはずです。


「お腹がすいている人に米を分けてやる。」

「着るものが無い人に服を分けてやる。」

「痛くて歩けない人を遠くまで連れて行ってあげる。」


そういう『困った』を解決するのが仕事の本来の意味でした。


だから、『困った経験=挫折を数多くしている方が仕事に役に立つ。』


なぜ、挫折の経験が多いほど仕事に役立つのか?

それは、お客様の困ったに敏感に反応できるからです。


人生で挫折を経験している人は、困った人が

どんな気持ちになるか知っています。



私の仕事を知っている人は

「それはあなたの仕事が人を助ける仕事だからでしょ?

私達はそれとは違うから。」

と言われてしまうかもしれませんが、そうではありません。

なんの仕事をするのでも、挫折をした経験が間違いなく活きるのです。


「お客様の気持ちに寄り添う」

ことこそが仕事をする上で一番大切なことだからです。


私はいじめられた経験もあり、高校入試にも

失敗しました。

大切な人との別れもありました。


しかし、そのおかげで、そんな経験をした人達の

気持ちが痛いほどよくわかるのです。


私の施術方法を習いたいという方がたくさんいます。

色々な業界で。

私も熱心に教えて伝えようとしました。

しかし、結果は伝わりませんでした。

なぜか、私に習いたいと言う人達には

私の施術に一番大切な

『相手の側に立つ』

『人の身になる』

これが出来ないのです。


挫折の経験の無い人には、

私の施術を学ぶことは無理だとわかりました。

なぜなら、人の痛みがわからないからです。

人の痛みを自分の痛みのように感じられないからです。

それらは、すべて「失敗したことがない。」

「挫折したことがない」

のが原因です。


こればっかりは、私にもどうしようもありません。

だって私は言えませんもの。

「挫折して下さい。」って。


だから、私は言うのです。

私からこのブログを読むように言われた人達には

「今度は人を救う側にまわって欲しい。」


皆さんの目から血の涙が出るような

悲しい経験やツライ挫折の経験が

今度は人を救う道具になるのです。


皆さんの言葉は、同じ経験で悲しんだり苦しんだり

している人達にとって、どんな政治家や

映画スター、プロ選手の言葉よりも重いんです。


あと、50年ぐらいしたらひょっとしたら

すべての医療従事者の国家試験に面接試験があるかもしれません。

もしも、私が面接官ならばこう聞きます。

「あなたの挫折体験を話して下さい。」と。

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[ 2015/01/09 08:00 ]

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一流の人、二流の人、三流の人
一流の人、二流の人、三流人。

これらの人達には何の違いがあるのでしょうか?


親が金持ちだからでしょうか?

顔が格好いいからでしょうか?

生まれついての才能でしょうか?

もう、諦めるしかないのでしょうか?


決してそんなことはないと私は思っています。


この一流の人、二流の人、三流の人の「差」は

ほんのちょっとしたところの差なのだそうです。

しかし、そのちょっとした差を誰も続けて

実践できないのだそうです。

このちょっと実践を続けることさえできたなら

誰でも一流になれるのです。

このことを説明するために

あるひとの言葉を借りてみたいと思います。


『一流と二流と三流の差』

今やる人

後でやる人

後でやろうとする人



新規開拓社長 朝倉千恵子さんの言葉です。


たったこれだけのことがなかなか続けられないのです。

「今忙しいから」

「今日は疲れたから」

「また今度時間のあるときに」


こうしてできない理由をたくさん挙げて

今を取り逃がす人はチャンスを逃す人なのかもしれません。



今日から変えてみませんか?


誰にでもチャンスは平等にあるのです。

そのチャンスに気づいて、動くか動かないかなのです。

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[ 2015/01/08 08:00 ]

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人生にはなぜ「挫折」があるのか?
人は生きていく上で、一度や二度は辛い想いや

もう立ち直れないのではないか?というような

想いをすることがあります。



それを一般的に「挫折」と呼ぶのでしょうが、

今この記事を読んで頂いている皆さんは

おそらく人生で何度か挫折を味わった方だと思います。



では、なぜ人生にこの「挫折」が起こるのか?

私の考え方はこうです。

『挫折は、人生は自分に都合のいいようにばかりはならないし、

人は自分の思い通りに動かせない。』

ということを私自身に教えるためにあるのだと思っています。


私もこれまで幾度となく「挫折」を味わってきました。

というと、「えー、ウソー、そんな風に見えなーい。」

なんて言われたりもしますが、とんでもない。



行きたい高校にも入れず、入りたい会社に入れず、

今の仕事を始めてからも多くの障害が私の前に

現れました。



ところが、ある日、あるセミナーを受講したとき、

さっきの答えを教えて頂きました。

「そうだったのか!」



『行きたい高校にも入れず、入りたい会社に入れず』

これは何を表しているか?

今の高校に不満があったんです。

今の会社に不満があったんです。


『今の環境に不平不満を言うこと自体が

自分で自分に挫折感を味あわせているんだ!』

と気づくのです。



だから、人生は自分に都合いいようにばかりは進まない。

人は私が思ったとおりには動かない。

ということを認めればいつでも挫折はしなくなるということを

知ったんです。



ですから、人生は自分に都合よくばかりは進まないし、

人は自分が思うようには動かない。

ということを知っている人には『挫折』ってないんです。



自分が望む高校じゃなくったって、

自分が望む会社じゃなくったって、

その居場所があることに感謝して、そこで

一所懸命に働いていれば必ず人生は好転するとわかったんです。


その後の私の人生は180度変わりました。

皆さんもその事実を認めてみませんか?


人生が変わりますよ!

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[ 2015/01/07 08:00 ]

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子供に「私は頭が悪いから・・・・」と言われたら
これは、我が家に限ったことではないのですが、


勉強をしない子供達は、

決して頭が悪いのではないと私は思っています。


実際に私も子供に、


「私、頭が悪いから。」


といわれたときには、必ずこういうことにしています。


「お前は頭が悪いのではないよ。

勉強することに興味がないだけだよ。」


実際に、自分の興味のある本を読んだり、

ゲームをしているときなどは、

時間が経つのも忘れて

一心不乱に打ち込んでいたりします。


お父さんやお母さんも、

「そのやる気を勉強に向けてくれたら・・・・」


なんていうセリフを口にしたのは

一度や二度ではないはずです。



子供達は、勉強に興味が持てなくなっています。

それは、私も含めた親にも責任があるのでしょう。



「なぜ、勉強するのか?」

そんな単純な質問が子供達に

されてこなかったんだと思います。


子供達も、

「親に勉強しろ!」

と言われて勉強しているうちは

本当の意味での「学問」にはならないと思います。


かくいう私も受験のために勉強をし、

「大学に行く」

という目的が達成されてしまうと

一気に勉強に対する意欲が失われていったのを

今でも昨日のように覚えています。



だから、どうしても

「勉強をする。」

その前に、

「なんで勉強するのか?」

「自分は将来何になりたいのか?」

「自分が将来なりたいものに

なるために勉強は必要なのか?」


そこまで掘り下げて考えないといけないのでは

ないかと考えています。



大事なことは、自分の子供の可能性を

信じることです。


先述の私と子供とのやりとりでは、

「パパはお前が頭が悪いと考えたことは

一度もないよ。

お前が将来なりたいものを見つけて

それにどうしてもなりたくて、

パパやママに反対されても

その反対を押し切ってでも

それになりたいという志をお前が立ててしまったら、

そのためには東京大学に行かなければならないのだと

したら、お前はきっと東京大学に行くだろう。

そこを疑ったことはないよ。」

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[ 2015/01/06 08:00 ]

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「人に厳しく自分に厳しい」と「人に優しく自分にも優しい」どっちが正しい?
世の中には、人に厳しく自分にも厳しい人がいます。

自分に厳しい分、他人に求めるモノも多くなるんですね?

仕事が出来る人に多いですが、

なぜか上司になれない人が多いようです。



でも、何となくわかる気がします。


いわゆる

「部下の気持ちがわからない」タイプですね。

部下に嫌われ、誰もついてこないってヤツですね。



その一方で、

人に優しく、自分にも甘い人っていますよね。

一見頼りなさそうでいて、

不思議と人が集まってくるタイプですね。


「人を許す」ことが出来る人です。





では、どっちの人が幸せなんでしょうか?



その疑問の答えに近づくヒントがあります。

お釈迦様の言葉にこんな言葉があります。




「自分に甘くても良いから、

人に優しくしてあげなさい。」





お釈迦様も実はあんまり正しさを

求めていないのかもしれませんね。





「正しさよりも明るさ」なんですね



さらに、西郷隆盛先生が

このような有り難い言葉を残してあります。





「己を尽くして人を咎めず。

我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。

我を愛する心を以って人を愛せ。

自己を許すが如く人を許せ。

人を責めるが如く自己を責めよ。」


西郷隆盛



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[ 2015/01/05 08:00 ]

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「治る人」と「治れない人」の違い
世の中には、

正直、「こりゃあ、難しいな。」

と思うような大きなケガからも

劇的に復活する人がいます。



私も一人知っているのですが、

Aさんはスキーの名選手でした。


しかし、そのAさんは不慮の事故で

片足の4本ある靱帯のうち、3本を断裂させ

筋肉も断裂させてしまい、

「足を切断しなければいけないかもしれない。」

と医師に言われたそうです。


しかし、Aさんは切断を免れ

さらに、足のリハビリの努力を人の数倍行い、

劇的な回復を見せています。



Aさんは、他の方々と一体何が違うのでしょう?



私がAさんと話していて気づいたことをまとめます。

Aさんは、リハビリのために一人で散歩をしています。

最初は片足をつくこともできず、

片足を持ち上げて、もう一方の片足だけで歩いていました。


それが日に日に回復していき、今では両足を

しっかりと地面につけて歩けるまでになりました。


しかし、12月に入り本格的に雪が降り始めました。

雪道は滑るからAさんもお散歩できずにいるだろうな

と思っていました。



ところが、Aさんは歩いていました。

転ばないように両手にストックを持って歩いていました。



ここが、他の人との違いです。

他の人は、

「もう少し温かくなったら・・・・」

「道路が滑らなくなったら・・・・」

と出来ない理由が頭をよぎります。



Aさんがテレビを見ていると、

オリンピックに出場していた選手が

Aさんと同じような靱帯の大けがをして、

そこから劇的に復活したテレビ番組を

見たそうです。


Aさんがその番組を見た感想は、

「俺にもやれんじゃねーか?」

です。


普通の人なら、

「それは、あの人がオリンピック選手だから。」

「それは、あの人が特別だから。」


そう言って諦めてしまうんだと思います。


Aさんの他の人との違いは、

「決して諦めないこと。」

「出来ない理由を言わないこと。」


私が、一番好きな野球選手に、

元巨人の桑田真澄選手がいます。


最後に、その桑田真澄選手が名言を残しています。

「やるかやらないかですよ人生は。

やればそれだけのものが帰ってくるし、

やらなければそのままですよ。」


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[ 2015/01/04 08:00 ]

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真の友情を知るには・・・

「友の信を見るには、

死、急、難の三事をもって知れ候。」


高杉晋作

本当の友情がわかるのは

自分が困難に陥った時である。

自分が好調な時、お金の回りが良かったり、

会社が好調な時には

誰でも寄ってくるものである。

そこでは本当の友情なんてわかりはしない。

当たり前である。

自分が苦しい時、苦境・逆境にある時

本当の友情、友人が見えてくる。


自分の身の回りに降りかかる不幸でさえも

自分に本当の姿を見せてくれる貴重な機会なのだ。

こんな時でないと決して見せてくれる姿ではないのだから。

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[ 2015/01/03 08:00 ]

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自分の行いが正しいか迷ったら・・・
自分が人に言ってしまったこと。

間違ってやってしまったこと。


人が生きていくうえで、数々犯す誤り、間違い。


そんな時、どうすればいいか?


どうすれば自分はが許せるか?



気になるのは「他人の声だ」と言うことに

気づきさえすればそんなに苦労はないものだ。



「小生、獄に坐しても首を刎ねられても

天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。」


吉田松陰



他人からどう評価されようが

天地にさえ恥じない行動ならば

どうなろうと構わない。

と言う意味。

さすがは吉田松陰先生。




他人から

「お前は足りない」

と評価されてもいいじゃないか。




「お前は間違っている」

と否定されても良いじゃないか。



天地に恥じない行動であれば・・・・




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[ 2015/01/02 08:00 ]

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失って初めてわかる人生の皮肉について
先日、ある二人のおばあちゃんが会話を

していたんですが、その内容に思わず「ハッ!」としました。

ここでの登場人物をA子さんとB子さんとしましよう。


A子さんが言いました。

「ねえー、ひどいでしょ?

ウチの父さんは、(ご主人のことです)私に

こんな酷いことを言うんだよー。

自分が辛いのはわかるけどさ-。

私だって大変なのよー。」


そんなA子さんの言葉を、B子さんは

黙って一通り聞いてから、静かにこう言いました。

「あのな、どんなに頭にきたって、

喧嘩できるだけ幸せなんだよー。

相手が居なくなったら、喧嘩も出来ないんだよ。

若い人達とだって、だんだん話が合わなくなってくるんだから。

一人って言うのは寂しいよ。

話し相手が居るだけだっていいもんだよ。」

この時、A子さんは知らなかったのです。

B子さんは、結婚して子供が生まれてすぐに

ご主人を亡くしています。


最愛のご主人を亡くされた後、

二人の娘を女手一つで育て上げ、

家業であるお店も立派に守り続けてきたのです。

その家業であるお店には従業員も

たくさんいて、その従業員さん達にも

途切れることなくお給料を払い続けてきたのです。


その間、どれだけ寂しかったことか?

どれだけ愚痴を聞いてもらいたかったことか?

誰にも相談できず、一人で悩んで、一人で決めて

今日までやってきていたのです。



そんな厳しい人生を歩いてきたB子さんだから、

伴侶が生きていることのありがたさを

身にしみて痛感しているのだと思います。


しかし、このB子さん。A子さんに対して

「あなたが甘いんだよ。そんなことで!」

なんて叱り(しかり)つけたりしませんでした。


「相手が居るってだけで、喧嘩できるのも

幸せなんだよ。」

って、そう言っただけで、

後は静かにA子さんの話を聞いていました。


A子さんは、てっきり共感してくれるものと

思っていたのか、消化不良を起こしたような

顔をされていました。


「失ってみるまでは、わかんないだろうなー。」

そう、思いました。


皆さんは、今隣にいる大切な人を

本当に大切にしていますか?



あなたも、失ってみるまでわかりませんか?








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[ 2015/01/01 08:00 ]

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