スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ]

| スポンサー広告 |
安岡正篤(やすおか まさひろ)さんと共感したこと
皆さん、

「安岡正篤(やすおか まさひろ)」さんってご存じですか?

ご存じない方は、こちらクリックでWikipedia参照して下さい⇓

安岡正篤Wikipedia参照

たいそう凄い方です。

「平成」の名付け親とも言われたりしています。

歴代の総理大臣の施政方針演説の

推敲(すいこう=原稿の手直し)を

しているような人です。


その一方で、五・一五事件や

二・二六事件の影の首謀者と疑われたり

戦中、戦後を通じて

多くの政治家の思想的な影響を与えたとして

戦犯に疑われたこともありました。

そんな正岡正篤さんの言葉を

今日はご紹介いたします。

これは、私が読んでいる

Facebookページ「安岡正篤一日一言」

からの抜粋です。
---------------------

『いくら本を読んで、知識を豊富に持っておっても

一つも実際の役に立たんという学者がある。

こういうのを迂儒という。

いろいろ知つてはいるが、意外に役に立たん、

生きた解決にピタリとしないというのを迂と言う。


だから儒者でも、

物知りではあるけれども活きた学問にならんというのを迂儒という。


学説の「迂説」という言葉はこれからくるわけです。

しからば、見識をどう養うか。

それは、やはり人生の体験を積んで、

人生の中にある深い理法、道というものがわからないと見識になってこない。』


------------------------------

ここまで安岡正篤氏の言葉を読んで

「おっ!」

と思った方、

私のブログをよく読んで頂いていますね。

ありがとうございます。


実は、私以前にこのブログで

こんなことを書いていました。

「勉強が出来ること」と「人間力があること」は全くの別物

同じようなことを書いていました。

これ、今年の3月24日に記事にしています。

だから、ものすごい共感できるんです。


本を読んで知識を得ることは素晴らしい。

でも、大事なのはその知識を

人のために活かすこと。



本を沢山読む人は沢山います。

しかし、人のために活かそうとする人は

ほとんどいない。


例え、一冊でもいい。


その本で学んだことを

人のために活かすこと。


一冊読んでは、活かし

また、一冊読む。


そっちの方が、よっぽど素晴らしい。




スポンサーサイト

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2016/06/27 08:00 ]

| 私の主観 | コメント(0) | トラックバック(0) |
私の最後の「判断基準」となるもの
私もこれまで数々の岐路に立って参りました。


選択を迫られることもありました。

判断、決断しなければいけない場面がありました。



その度に思うことがあります。

その時に、いつも心懸けていることがあります。

それは、

「どちらの道の方が人のためになるか?

どちらを選べば、自分以外の人がたくさん

喜んでくれるか?

どちらを選べば世の中のためと言い切れるか?」

ここに基準を置いています。



ここで大事なことは

「自分を勘定に入れズ」

です。


岩手県が生んだ天才詩人、宮沢賢治先生も

ご自身が作られた詩の中でそのように歌っています。


「自分の都合は、他人の不都合」

ということになるのでしょうか?


自分に都合の良いように動くと、

だいたい他人に迷惑をかけて、

人から疎まれます。




「世のため、人のために働く人を

天も人も見捨てはしない」

ということだと思うのです。

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/08/24 08:00 ]

| 私の主観 | コメント(0) | トラックバック(0) |
私の好きな言葉
私の好きな言葉をご紹介させて頂きます。

この言葉は明治維新の立役者の1人、

高杉晋作さんが辞世の句として残した言葉です。



続きを読む

テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[ 2015/06/01 08:00 ]

| 私の主観 | コメント(0) | トラックバック(0) |
娘に伝えた私の天皇陛下に対する考え方
今日は、私の天皇陛下に対する考え方を

書いていきます。


「そういうの嫌だ!」

という方は、どうかスルーしてください。

皆さんの考え方を否定するものでは

ありませんので、

「あっ、そうお前はそう考えているのね。」

程度に捉えてください。



どうしても、捨ててはおけないことが

私と娘の間に起きたので、これは

「本当にそのままにはしておけない!」

という想いで書かせて頂きます。



事の発端は、成年皇族になられた

秋篠宮佳子さまの報道でした。

最初は、私と娘は

「芸能人やモデルみたいな綺麗な人だね~。」

とたわいもない話だったのですが、

突然娘が、

「でも、この人達、働いてないんでしょ?

国からお金をもらっているんでしょ?

ズルいよね。」

と言いました。


それを聞いた私は、恐ろしくなりました。


「ちょっと、パパと話をしよう。

あのね、天皇陛下を初め、皇族の方々が

『働かずにお金をもらっているのがズルい。』

という考え方は、『天皇陛下が私達と同じだ』

という考え方から始まっているのだろうけども

それは違うと思うよ。」


「天皇陛下はそもそも、私達とは全然違う。」

「天皇陛下は、唯一人全国民の親として

向き合っておられる。

東日本大震災が起きたとき、被災地にいて

仮設住宅に住んでいた被災者の方々が

エアコンがついていなくて寒い想いをしている

と聞いた陛下は、自ら部屋の暖房を切ったそうだよ。

『被災地で凍える想いをしている方々がいるのに

自分だけ暖かい部屋にいるわけにいかない。』

とおっしゃったそうだよ。パパも被災者の方に

寄付をすることはできても、部屋の暖房を切ることはできない。

それは、『全国民が我が子供』と考えている天皇陛下にしか

できないよ。」



「そもそも、天皇陛下に対する考え方が変わったのは、

戦後日本が戦争に負けて、大日本帝国憲法が改正されて

『国家元首』という立場から、日本国憲法で『国民の象徴』

という立場に変わったことによると思うんだけど、

学校では、天皇陛下の戦争責任に対しる格下げのように

教えてるかもしれないけど、それは違うよ。」


「そもそも、天皇陛下の勅命(ちょくめい)として

時の政権や軍部が自分達の考えを正当化し

国民を動かそうとする手段は

昔からあった話で、これは日本だけじゃなく、

中国の三国志時代でもあった話だよ。

国王のそばで世話をした宦官(かんがん)や

董卓(とうたく)も国王の勅命を操って、

天下国民に命令を発したんだよ。」


「だから、パパの考え方は天皇陛下の勅命を

あやつる人間が悪いんだと思っているよ。


実際に、広島や長崎に原爆を落とされた日本が

降伏した形になっているけど、

さっきも言ったけど「国民は我が子供」と

考えている天皇陛下が国民のそんな悲惨な

状況を黙っていられると思う?

まだまだ、戦おうとする軍部や政権を押さえて

降伏を決めたのは、天皇陛下だと言われているよ。」


「だから、アメリカは天皇陛下を格下げしたのではなく、

天皇陛下の威光を借りて、「天皇陛下の名の下に」

どこまでも働く日本人の国民性を操り、

天下に悪事を働く輩が出ないように

憲法を改正したんだよ。」

「ただ、その憲法の意図を汲み取らず、

文字ばかり読もうとする人が今の教育によって

増えすぎた。そんな間違った教育が

天皇陛下に対する間違った感情に繋がっている。

これはとても悲しいことだ。

中国では偽の勅命によって、国王の権威が利用されることは

当然のこととして知られているのに、

日本ではまだそこまでいっていない。


日本の教育が、教科書がいつの日か

正しい方向に向くことを期待したいね。」


娘は納得しているようでした。


しかし、中学に行き、

歴史を学ぶようになって

『教育の怖さ』を目の当たりにした瞬間でした。


「子供達にどんな教育がされているか。」

それに興味関心を持たないと、

アジアの周りの国々を笑っている場合じゃないと思いますが、

皆さんはどう思いますか?




テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

[ 2015/01/17 08:00 ]

| 私の主観 | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。