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青森にも行ってみないとわからない話
人間行ったことのないところには

一度は行ってみるべきだと思った話です。


私は、青森県にはこれまで行ったことがありませんでした。

それが、この度娘の吹奏楽の大会の

応援のおかげで初めて青森県に

行ったのですが、

「世の中には行ってみないとわからない」

ものだと
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テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

[ 2015/09/07 08:00 ]

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今日という日は、歴史の転換点
11月15日、今日は私の尊敬してやまない

坂本龍馬の誕生日であり、亡くなった日でもあります。

土佐の藩士の子に生まれ、武市半平太と袂を分かって

天下太平の世を作ろうと東奔西走した男。


彼の最大の魅力は「欲がなかったこと」だと思います。

薩摩と長州を結びつけることも、海援隊を結成して貿易の

仕事を始めたことも、すべて彼に「欲」が無かったからではないかと思う。



彼が、海援隊を組織したときも、当時の海援隊は脱藩浪士の集まりであり

資金はなく、とてもじゃないが船を買うなんてことは

到底出来なかった。



では、船はどこから手に入れたのか?

それは、薩摩藩から船を借りて国内貿易を行い、

その売り上げの一部を手数料として薩摩藩に支払う

という契約をしたのだった。



しかし、しかし、ここでよくよく考えてみると

薩摩藩とていくら船の借り手が龍馬といえど

「国内貿易をするから船を貸して」

と言われて、「はい。いいよ」

とは言わないはず。


船を貸したいいが、壊されでもしたら当然素寒貧の

龍馬たちに直せるはずもなく、大切な船が使い物にならなくなる

可能性があるからだ。



それでもなお、坂本龍馬という男に船を貸したのは

この男の後ろに欲のにおいがせず、

「天下国家のために働いている男」

という印象を薩摩藩がもったからに違いない。


そんなスケールのでかい男に私もなりたい!



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テーマ:フィギュア - ジャンル:趣味・実用

[ 2013/11/15 16:29 ]

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3分でわかる!黒田官兵衛とその息子黒田長政の皮肉な運命!
秀吉の天下統一を支えた天才軍師

黒田官兵衛。

その息子、黒田長政との皮肉な運命のお話。


秀吉亡き後、天下統一を目論む徳川家康。

その家康の好きにはさせまいと名乗りを上げるのが

石田三成でした。


二人が天下の覇権をかけて雌雄を決したのが

世に言う「関ヶ原の戦い」です。



この関ヶ原の戦いを遠く、九州の地から傍観していた

武将が居ます。それが黒田官兵衛です。

黒田官兵衛は、九州にいながらにして天下の夢を

描いておりました。



黒田官兵衛は表向きは

徳川方に組みする形をとりながら、関ヶ原にむけて出兵したため

空城に近い、九州の西軍方を攻め勢力を拡大し、

九州の地に一大勢力を結集して、中央に進出し

疲れ果てた関ヶ原の勝者と雌雄を決するつもりでした。



しかし、黒田官兵衛に誤算がありました。

それは、日本を二分する天下分け目の大戦が

まさか、半日で決着するとは黒田官兵衛以外にも

誰しもが思いもしなかったのです。


戦上手の黒田官兵衛にしても、この関ヶ原

5年は続くと考えていたのです。



しかして、その天下分け目の大戦にて

徳川方の圧勝に力を貸したのが

黒田官兵衛の実子、黒田長政でした。



教科書上は、徳川方の圧勝としか伝えませんが、

当初は秀吉子飼いの武将が世の中にはまだ多く、

徳川の好きにはさせないとしていた石田三成を

推す大名の方が日本中には多かったのです。



その状況を一変させ、秀吉子飼いの武将達さえ

徳川方に引き込んだのが父親譲りの調略上手の

黒田長政だったのです。




父親の天下統一の目を潰したのが、

父親譲りの調略上手の武将、黒田長政という事実。



これ以上の皮肉がありましょうか?





テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

[ 2013/10/03 23:17 ]

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すぐわかる『黒田官兵衛ってこんな人』
『軍師官兵衛』がNHK大河ドラマで始まります。

この官兵衛こと、黒田官兵衛は黒田如水、

または黒田孝高とも呼ばれています。

一地方の武将に過ぎなかった黒田官兵衛を秀吉は

その才能を見抜き部下に加えます。


そして、当時織田信長の家臣であった秀吉の元で

軍師として働き出すのです。


織田家にあって、巧みな調略(策略、敵をまかしたり、内通させたりすること)

で出世してきた秀吉は同じように調略に才能を発揮する

黒田官兵衛を重宝がるのでした。


黒田官兵衛の有名なエピソードがあります。

織田家の天下統一のために西国平定に奔走していた秀吉ですが

その途上、本能寺の変で信長が死ぬのでした。

その時、秀吉が交戦中だった毛利輝元と和睦(戦争休止)して

信長を殺した明智光秀を討つべきだと進言し、

秀吉にこれを実行させるのです。


これが世に言う『秀吉の中国大返し』です。

この大転換がなければ豊臣秀吉の天下統一もなかった

と言われています。


これほど、秀吉の天下統一に貢献した黒田官兵衛ですが

秀吉の天下統一後は、その才豊かゆえに危険人物と

目されるのでした。




黒田官兵衛がどれほど大きな手柄を立てても

決して秀吉は官兵衛に大大名には任じませんでした。


それは、周囲の部下達にもおかしく写り、

秀吉が近臣に問われると、秀吉は近臣にこういったと言います。


「黒田に100万石でも持たせたら、
天下を奪われてしまうわ!。」



当時すでに天下の覇者であった秀吉から

たった100万石すら与えることを拒まれたのです。


その才ゆえに、異例の出世した黒田官兵衛。

しかし、その才ゆえに引き上げてくれた秀吉から

疎んじられるのでした。



ひょっとしたら、何もないところから身を起こし、

立身出世を果たした秀吉が、黒田官兵衛の中に

自分に通ずる何かを感じ取っていたのかもしれません。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

[ 2013/10/01 09:47 ]

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今日という日
90年前の今日、関東大震災があった。

多くの人が亡くなった。

現在公開中の映画「風たちぬ」は

この関東大震災の様子を丁寧に描いた作品。

娘が映画館にこの映画を見に行ったのに、

先輩が「つまんないって言ってたから」と観なかったらしい。

いつか東日本大震災も「つまらない」と

言われてしまう日が来てしまうのだろうか?

テーマ:今日のニュース - ジャンル:ニュース

[ 2013/09/01 11:24 ]

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劉備が!関羽が!張飛が!木製フィギュアで蘇る!

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テーマ:フィギュア - ジャンル:趣味・実用

[ 2013/08/06 13:32 ]

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